屋上の扉を開けると、視界に入るいつもの姿。 ベンチに体を横たえて、日差しを避けるように片腕で顔を隠して眠っている慎の傍へ近寄ると、久美子はベンチの横にストンと腰を下ろした。
「…どうした?」 「んー…いい天気だなあ」
問いかけには答えず、仰向けで寝そべる慎のお腹に頭を乗せるようにして空を見上げる。
特に、聞かれるようなことは何もない。 いつも話していることだって大したことでもないけど、今日は教頭に嫌味を言われたわけでもなく生徒も悪さをしていないから、愚痴るようなことは何も無かった。
多分、こんな風に久美子が大人しく傍に座る時は何かしら凹んだ時が多かったから慎も声をかけたのだろうけど。 なんだか何もないからこそ、何となく気が抜けてて…凹んだような気持ちになってしまったのだろう、と久美子は予測する。
そよそよとそよぐ初秋の風はまだ少し夏の匂いを残していて、散々生徒と遊びまわった夏休みが少し懐かしく感じた。 補習はあれども、普段よりずっと短い「勉強の時間」に喜ぶのは、3Dのメンツならば当然で、久美子も仕事が終わった後は結構な日数を一緒に過ごした。
新学期が始まって夏休みの日数どころじゃなく、毎日見れる生徒の顔が嬉しいはずなのに…寂しい、と思ってしまうのは…まるで高校生活をもう一度体験してるかのような楽しすぎる夏休みの所為かもしれない。
不意に慎が動いた気がして目を向けると、少しだけ体を起こした慎が久美子のおさげを何度もスルスルと指で弄んでいた。
「なんだよー」 「昔…犬、飼いたかったんだけどさ…」
まだ眠気が残ってるのか、普段より柔らかな口調で言った慎の言葉の意味がわからず眉を寄せたが、お腹に頭に載せたまま今度は体ごと慎の顔の方へと向ける。
「こういう手触りのが欲しかったんだよな…」 「犬かよ!」 「猫でもいいけど」 「猫かよ!」 「ヤンクミの好きな方でいいよ」
どっちでも好きだし、と喉で笑う慎の顔は、からかう雰囲気とは違ってやっぱり普段よりも柔らかで。文句を言いつつ久美子は髪を梳く手を止めようとは思わなかった。
それでも少しだけ癪なのも本当なので、だらりと力なく投げ出してた手を風にふわふわと揺れる慎の髪へと伸ばす。
「あたしはフワフワのがいいな」 「うん?」 「犬」 「犬かよ」 「狼でもいいぞ」 「どっから来たそれ」 「どっちでも…んー狼のがお前っぽい」 「決めさせろ、せめて」
だってその方が好きだし、と「ヤンクミ」らしからぬ優しい手付きで慎の髪を撫で梳いて、いつもの笑顔を浮かべた久美子に、慎が苦笑しながらおさげを離して頬を摘んだ。
「あにひゅんだ」 「ばーか。…午後、遅刻するぜ?」 「あ!もうこんな時間かよ~!おい沢田、お前午後の授業サボるんじゃねーぞ!」
慌てて扉の前まですっ飛んで、振り向きざま注意した久美子に寝そべったまま片手を挙げて「善処する」と返された。 屋上へ来るまでのしぼんだ気持ちは既に無くなっていて、急いで職員室へ向かいながらさっきまで慎の髪に触れていた自分の手を見てくすり、と笑う。 交わした会話はどうということもない他愛も無い内容で、励ましの言葉なんてひとつも含まれてやしなかったけど、なんとなく自分を必要だと言ってくれてる気がして。
「あいつ照れ屋さんだからなぁ」
決してストレートには慰めないけれど、慎はいつもそうだ。 欲しい言葉をくれるわけじゃないのに、欲しい気持ちをくれる。
「狼も案外、可愛いよな」
後でもう一度、あのフワフワした気持ちいい手触りを堪能させてもらおうと決めて、久美子は上機嫌で職員室のドアを開けた。
Fin
慎ちゃんは久美子さんの、久美子さんは慎ちゃんの、精神安定剤。
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