「なんてこった…!」 「………」
久美子は後悔していた。 そして慎は呆れていた。
時は残暑厳しい9月初旬。 場所は御馴染み沢田慎が住まう一人暮らしのアパートである。
「…なあ」 「なんだよぉ!」 「…言うことはそれだけか?」 「…他に何があるってんだ!」
半泣きの声で振り向いた久美子の顔は、声と同様それはそれは悲しそうに歪んでおり、いつもなら一も二も無く慰める為に動く慎だが、とりあえず今は我慢を選ぶ。
「他に何もねぇのかよ」 「ないっ!!」
きっぱり言い切った久美子に特大の溜め息で返事をして立ち上がった慎は、キッチンに置いてあった布巾を濡らして絞ると久美子に向かって投げつけた。
「なにすんだよ!」 「お前それ受け取ってもまだわかんねぇのかよ」 「なにが!」 「…オレはたまにお前の将来のことが本当に心配になるよ…」 「はあー!?」
本人だけの心配というよりは、自分も含めての心配なのはまだ心の中でしか言えないが。
「お前の目の前にある冷蔵庫をよく見ろ」 「だから何…あ。」 「はー…」 「あ…はっはー悪い悪い!見えてなかった!」 「それが見えねぇって、お前の目玉はどういう構造になってんだよ」
慎の呆れは尤もで。 今朝騒音と共に来た久美子の手には大量のアイスが入った袋が握られていたのだが、冷凍庫に入らなかった分を「すぐ食べればいいやー」と思った彼女は冷蔵庫に放り込んだ上、それを夕方まで忘れ去った。 気付いた時には後の祭りで、液体と化していたカップアイスは慌てて開けた冷蔵庫のドアの振動で下に落ち、当然というか何と言うか逆さまに落ちたものだから、冷蔵庫自体が甘い匂いを放っている現状。
少ないとはいえ中の食材に、バニラの匂いがつくのは甘いものが決して得手ではない慎にとってはかなりな痛手となるのである。
「おーい、冷蔵庫すっげーいい匂いするぞー♪」 「…勘弁してくれ…」
冷凍庫にまだ残りのアイスがあることを思い出した久美子は、ご機嫌に冷蔵庫のアイスを拭き取っていくが、慎の悪寒通り案の定冷蔵庫にはバニラの匂いがついているらしい。
「ま、お詫びに夕食はあたしがちゃーんと作ってやるから、買い物行くかあ!」 「…そこに食材入れる気かよ」
しばらく出来合いで済ませようと考えていた慎は、久美子の提案に…その料理の出来と、食材の残りの行方との2重の心配をする羽目になり。
それでも断れない自分の、多分3日は確実に続くであろう甘い香りの拷問を思いながらも、促されるまま立ち上がった。
「何が食いたい?」 「…食えるもの」 「もーちゃんと具体的に言えよ、メニューを!」 「…メニュー言ってそれが出てくるようになったら言ってやるよ」 「こにっくらしい…っ!」 「お前の方がよっぽど…」 「何?」 「…ンでもねぇ」
冷凍庫を占領されても、冷蔵庫にアイスを零され匂いを付けられても、責めもしない自分の何が小憎らしいというのか。 人の家に朝から押し掛け、冷凍庫を占領し冷蔵庫にアイスを零しても笑って済ませた挙句、炭料理を無理矢理振舞おうとする久美子の方がよっぽど…だと思うけども、来てくれなくなる方が嫌だから、それを口にする勇気は慎にはまだ無い。
恋する少年だって、結構大変なのだ。
Fin
冷蔵庫がバニラに染まったらそれはもう悲しいことでしょう…。 しかもベッタベタになるっつの。
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